2014年10月20日月曜日

現代の若者は絶望しているのか?を読んでの感想


現代の若者は絶望しているのか?

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2014/10/post-287f.html

を読んでの感想

 

第1部 子ども・若者の現状 (PDF形式:370KB) - 内閣府

www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h23gaiyoupdf/pdf/gaiyo_b1.pdf

若者(この統計では0~29歳と定義してます)の人口が、平成初頭では5000万人居たのが平成22年に3723万人になったという時、自殺者の絶対数が大きく変動してないという現象を、どう評価すべきなのだろう。もちろん自殺者の統計では0~14歳というのはほとんどカウントされてないようなのでもっと丁寧な議論が必要だろうけど、年齢別の人口あたり自殺数みたいな指標のほうが適切かもしれない。あるいは日本社会の絶望の総数は変わらないという風に見ることもできるかもしれない。

そもそもの話で、絶望とは何か希望とは何かみたいなこともよく分からない。自殺するほどの苦悩があってもある人は死を選びある人は生きてるわけで、じゃあ苦悩に対処さえ出来たら希望なんかなくても生きていけるじゃないかとも思う。逆に希望があったところで苦悩が圧倒的に強ければ(例えば過酷な長時間労働とか)死を選んでも不思議じゃない。そう考えると苦悩せざるを得ない環境があるんじゃないかとか、苦悩に対処するための知恵や文化が社会で広く共有されてるのか、という疑問がある。

 日本社会の絶望の総数は変わらないという話とあわせて考えると、死ぬほど苦悩せざるを得ない環境というのがいつの時代でも一定数、社会のどこかに存在してるのではないかという風にも見える。

それで、その手の闇(例えば社会に広く偏在する苛めや過酷な労働環境)を生み出して維持する力が社会の文化として、苦悩に対処すべき知恵や文化の代わりに、市民の圧倒的支持を受けて存在してるのではないかと思うときもある。そうじゃなかったらどうしてそういう悪習が生き残れるのだろう。「みんな」や「空気」の文化と呼んでもいい。

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