2014年10月26日日曜日

「子供の騒音」について当事者である保育事業関係者はどう考えているか

平成26年9月17日に行われた、第18回子ども・子育て会議の議事録が公開になっていた。(リンク)「子供の騒音」についても話題になったようなので該当部分を引用して私見を述べてみたい。彼らの意見が保育事業者や保育に関心のあるマスコミの総意とは思わないが、何を考えているかの一助にはなると思う。引用した委員は以下の通りである。肩書きは子ども・子育て会議にある「委員一覧」のものを使用した。駒崎、山口氏は保育所の経営者でもある。榊原氏は子育てや幼児教育に継続的に取り組んでいる記者のようである。


(NPO法人全国小規模保育協議会理事長)駒崎弘樹

(読売新聞東京本社社会保障部次長)榊原智子

(一般社団法人日本こども育成協議会副会長)山口洋


駒崎委員:2点目は、これは小規模保育のみならず、恐らく保育園業界等に大きな衝撃を与えるのではな
かろうかなと思うのが、10日前に神戸市の東灘区で70代の男性が、保育所がうるさいということ
で訴訟を起こした事件がありました。この判決いかんによっては、リスクが高過ぎて都市部で保
育所がつくれなくなります。なぜならば、近隣の住民から訴訟を起こされて簡単に負けるように
なり、そして引っ越せみたいなことを言われると、どうすればいいのかというふうになってしま
うわけなのです。なので、地味ですが、この判決というのは非常に重要ですし、日本の将来を左
右するようなインパクトを与えると言っても過言ではありません。
これに対して、既存のメディア各社の論調を見ますと、昔は日本人は寛容だったけれども、不
寛容になってしまって残念だねみたいなモラルの話にしてしまうケースが多々ありますけれども、
それを単なるモラルの話にしてほしくないというふうに思います。これは明らかに制度の不備で
あります。
というのも、例えばドイツでは子どもの騒音への特権付与法というのが2011年に可決されて、
子どもの声は騒音とみなさないというふうになりました。よって、損害賠償請求をされることが
ないというふうにしたわけなのです。これによって、こうしたケースにおいても、保育所として
は出ていかなくても済む、あるいは膨大な損害賠償の額を払わなくても済むというふうになりま
した。
こうしたインフラがなければ、我々が保育所を続けていく、あるいは新規に都市部に設立して
いくというのはなかなか難しくなってしまうわけなのです。皆様も御案内のとおり、待機児童の
8割は都市部です。そして、こうした訴訟が起こるのは都市部であるわけなので、非常にクイッ
クにこうしたケースに対する対応をしていただけたらと思います。我が国もドイツを見習って早
急な法整備が必要だなと思いますので、直接今回の話題とは異なりますけれども、ぜひ検討いた
だきたいと思っております。地味だけれども、これは非常に重要なテーマでございます。

榊原委員:それとは別に、今、駒崎委員が提起なさった子どもの声は騒音なのかという点については、子
ども・子育て会議の議題にはならないのかもしれないですが、人口減対策に政府が乗り出す中で、
こうしたこともそろそろ社会合意に向けた議論をすべき段階に来ていると私も思います。子ども
が社会の中のマイノリティーになる中で、多数決で騒音として扱われるだけでいいのかというこ
とについて、政府のほうでも明確な問題意識を持って考えていただきたいと希望します。

山口委員:私からは2点質問させていただきたいと思います。2点とも直接今日の議題には関係ございま
せんが、1つ目は子どもの騒音問題です。先ほど駒崎委員と榊原委員のほうから問題指摘が出ま
したので、ちょっと便乗させていただきたいと思っています。
といいますのも、私は個人的に当社が運営している東京都内の施設でもう既に1年前に訴訟状
態に入っております。その内容は、1,000万もかけて高速道路に設置するような防音壁を設けたり、
いろいろ取り組んできたのですが、境界上で50デシベルを一瞬でも超えたらだめなのだというそ
の1点だけで訴えられるような、そういった事態に陥っているわけでございます。
幸いマスコミのほうは、テレビ局も新聞も同情的に扱っていただいているのですが、また、東
京都などもそれに対する対応、条例の改正を含めて、そういったものも検討していただいている
のですが、これは東京都だけの問題ではございません。近ごろ、大阪だとかいろんなところで私
どもも保育園の新設の開発を進めておりますが、そんなところでもこういった訴訟のことを知っ
て、年間で幾らかよこせば黙っておいてあげるよとか、そういった住民もいるほどでございます。
そういったところは最初からトラブルになる可能性があるわけですから、開設は諦めるわけなの
ですが、これから保育園の開設がどんどん増えていく中で、これは全国的な都市部の問題だと思
います。
そこで、質問させていただきたいのは、厚生労働省としてこういった問題を今まで考えてこら
れたかどうか。それから、こういった問題が訴訟になってきたということを前提に考える余地が
あるのかどうかということをお伺いしたいというのが1点目でございます。

これらの意見に対して行政側からは厚労省 朝川保育課長からの返答があった。
「山口委員、ほかの委員からもありましたけれども、騒音の問題について訴訟が起きているとい
うことについてでございます。訴訟が起きてしまっているということについては非常に残念なこ
とだと思っておりますが、今日複数の委員から同様の意見をいただいたことも含めまして、今後
よく勉強させていただきたいと思います。」




以下、私見。

駒崎氏の関心は「リスクが高過ぎて都市部で保育所がつくれなく」なる、そのために子供の声を騒音としないとすることで「膨大な損害賠償の額を払わなくても済む」ということにあるようである(法で定められた基準を超えた騒音に悩まされる住民が現実に存在するという事実に少しでも向き合って欲しいものだが)。

ドイツのような法整備がなければ保育所を続けていくのが難しいということのようだが、騒音による「膨大な損害賠償」のリスクがあるというなら(法的基準を超えていなければまず負けないと思うが)まず防音対策をすればよいのではないかというのがまっさきに頭に浮かぶ。それが事業者の法的・社会的責任というものだろう。あるいは、膨大な防音対策の額を払わなくても済む、ということなのかもしれない。それならそれでそう率直に訴え、自腹で捻出するのが困難なら補助金なりを求めるというのが筋なのではないだろうか。裁判に負けて損害賠償を払いたくないのですが、いくら騒音を出そうが防音をする気はありません、法のほうをなんとかして下さいという態度にはあまり関心できない。この無責任ともいえる発想には騒音に悩まされる住民の苦痛などまるで考慮されていない(「膨大な損害賠償」も払いたくないし、防音対策もしない、どれだけ騒音が苦痛だろうが近隣住民はただ我慢しろということなのだろうか)。

言うまでもないことだが、仮に法改正がされたところで騒音被害者の苦痛が減るものでもない。またこの“改正”で新規の建設がより困難になるという可能性もある。一度出来たらどれだけ騒音を出そうが法的な救済が望めないのだから、近隣住民としてはできる前に必死に反対しようとするはずである。これでは保育所増設という目標と逆行するのではないか。このような事例が実際にドイツでも起きているとするブログ記事もあった。以下引用する。
「住宅を探していると家主に相談すると、当初は関心をもってもらえる。しかし、それが保育所経営のためだとわかると、「話しがすぐに終わる」のだそうである。家主が恐れているのは、他の借家人からの抗議や苦情だろう、という。」
「この規定は、保育所等を騒音による損害賠償請求の対象から外すことを目ざしているもので、これで保育所を建設しやすくなるという規定ではない。場合によっては、逆効果になるケースが出てくる恐れもある。」(ドイツの「子ども施設による騒音への特権付与法」の限界)。

このような事例もあるだろうから、法(あるいは条例)改正がドイツ社会に与えたインパクトをドイツ語やドイツの事情に精通した人間がちゃんと調べたほうがいいのではないかと思う。端的に悪法に見えるし、むしろ防音対策をすることでこのような事例は防げるのではないかと思う。

ちなみに駒崎氏が例に出している神戸の保育所の件では「日中は70デシベル以上でこの地域の基準の60デシベルを上回り、家族の会話やテレビを見るのにも支障がある」(朝日新聞2014年9月6日保育園児の声は騒音? 近隣住民の1人が提訴 神戸)ということである(会話やテレビの視聴に支障が出るという環境を想像してみて欲しい)。また「膨大な損害賠償」といっているが原告の弁護士のブログ記事(リンク  この記事には原告の主張する訴訟までの経緯も詳細に書かれているので是非読んでもらいたい)によれば「100万円という請求額は、弁護士費用や訴状に添付する印紙代、騒音測定のために購入した器械の代金などを考えると、全くもとがとれないものです。」という性質のものである。また求めているのは「あくまで防音対策」である。「引っ越せみたいなこと」ではない。あるいはそういう事例もあるかもしれないが私は知らない。ご存知の方は教えて欲しい。


次に榊原委員の意見について、「多数決で騒音として扱われるだけでいいのか」という問題意識があるようであるが私はこれに賛成する。騒音かどうかはあくまで騒音が人の心身に与える影響の科学的知見に基づいて決定すべきことであるように思う。ちなみに環境基本法に騒音に係る環境基準というのがあるがこれはどのように決定されているか。環境省(リンク)によると「環境基準は、現に得られる限りの科学的知見を基礎として定められているものであり、常に新しい科学的知見の収集に努め、適切な科学的判断が加えられていかなければならないものである。」とのことである。騒音かどうかもこのような視点からのみ決定されるべきものと考える。例えばたばこの煙やダイオキシンがどれだけ有害かの扱いを多数決で決めようということになるだろうか。科学的根拠を元に決定されるのではないだろうか。


次に山口委員の意見について。山口氏は「境界上で50デシベルを一瞬でも超えたらだめなのだというその1点だけで訴えられるような、そういった事態に陥っている」ということのようだが私はこれを疑問に思う。訴訟の詳細を知らないので何ともいえないのだが、基本的に騒音を評価する時には等価騒音レベルという指標を用いるように思う。詳細は検索して確認して欲しいが、これは時間当たりの平均的な騒音レベルのことで、環境基準の基準値もそのような意味で設定されている(リンク「騒音の評価手法は、等価騒音レベルによるものとし、時間の区分ごとの全時間を通じた等価騒音レベルによって評価することを原則とする。」)。一瞬でも越えたらダメだというようなものではない。端的に事実誤認か理解不足があるのではないかと思う。訴訟の当事者がこのような理解であるというのも、騒音に対する意識の低さを表しているように思う。あるいは原告の主張がそうなっているのかもしれないがそのような訴えが一年も続くだろうか。「境界上で50デシベルを一瞬でも超えたらだめ」などという騒音の評価方法を無視した主張は裁判官により一蹴されるのではないか。あるいはうがった見方をすれば、騒音の評価方法は知っているが、こんな酷い原告がいるという印象を与えるための方便であるともいえるかもしれないし、そう捉えるのが自然のようにも思える。

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