2014年10月26日日曜日

「マスクをして遊ぶサイレントキッズ」は実在しない

先日、保坂展人氏(現・世田谷区長)のコラム『子どもの声は「騒音」からはずす』を読んでいてびっくりすることがあった。このくだりである。

  「マスクをして遊ぶサイレントキッズ」を取材したいという問い合わせがありましたが、これはあくまでも比喩的表現です。苦情を受けて、「午後は園庭に出 ていない」「園庭に出る時間を制限している」「声を出さないように注意している」等の制限を加えていることへの違和感を表したものでした。
「マスクをして遊ぶサイレントキッズ」は比喩的表現だというのである。
ちなみに元になったツイートはこれである。



同様の表現は



元になったツイートでは「 マスク等で口を封じて遊ぶサイレントキッズの姿」となっている。果たしてこれが比喩的表現なのだろうか。みなさん、これ、比喩的表現に見えますか?私には見えません。実際に「 マスク等で口を封じて遊ぶサイレントキッズ」がいるのだろうかと思った。取材を申し込んだ人間もそう思ったからこそ問い合わせ(おそらくどこの保育園ですか?というようなことだろう)をしたのだと思う。

そもそも「マスクで口を封じるようなもの」ならまだ分かる。「マスク等」と“等”をつけることで手段に具体性を持たせて書いているのが、実際に現場でそのような具体的な対策があるかのように読める。比喩なら“マスク等”なんていう具体性を喚起させる表現が必要だろうか。

また続け て「その光景は怖いものがある」とくればその光景、すなわち「マスク等で口を封じて遊ぶサイレントキッズの姿」がただちに想起されるのではないだろうか。「こうしたクレームへの過剰反応」というのも現場での具体的対策として「 マスク等で口を封じて遊ぶ」を受けてのことだと思う。

繰り返すようだがこれが比喩だというのが理解できない。「マスクをして遊ぶサイレントキッズ」が実在しないというのであればこれは悪質な嘘やデマの類ではないかと思う。おそらく取材者から「サイレントキッズ」を取材したいのでどこの保育園か教えて欲しい、というような問い合わせがあったのではないか。しかしそのような子どもは実在しないので、あわてて「比喩的表現」ということにして取り繕おうとした、というのが真相ではないかと思う。

では何故このような 悪質な嘘やデマを流したのか。おそらく「可哀想な子供、酷いクレーマー」という空気を醸成するのが目的だったのではないかと思う(そしてその試みは成功したように見える)。端的にいえばプロパガンダである。プロパガンダの手口には、己の主張を正当化するために相手の悪魔化を行う、というものがある。「あいつは悪いやつだ、だからわれわれは正しい」ということである。かつては国会議員も務め、現在も区長という立場にある人間がこのような手口を使うというのはまったく感心できない(どんな立場であれ好ましくないことに変わりは無いが)。騒音被害者に対する心無い中傷もネットでは多く見られるが、このようなものも一因になっているのではないか。どうして法によって守られるべき被害者が、嘘やデマによって悪魔化された上に酷い中傷という二次被害を受けなければいけないのか。

どんな議論であれ、悪質な嘘やデマを流すのではなく、正しい事実と知識に基づいて行うべきだろうし、間違いがあったのなら「比喩的表現」だとかいってごまかすのでなく、訂正し謝罪をするのがそれなりの立場にいる人間としての誠実さというものではないだろうか。

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